あいちゃんずでいず

あいちゃんとゆかいな仲間たち(男子も既婚者もいます)婚活、お見合い、恋愛に役立つブログを更新していきますね。真面目なお話からくだらないお話まで付き合ってください。

弱みを知れば強くなれる


ある研究の中のアンケートで″配偶者の選択に関して何を重視するか″について調査したものをみても、男子では相手の顔立ち、スタイル、身長を気にはしていますが、「性格」「愛情 」「健康」「頭のよさ」にくらべてずっと低率になっています。ところで、私がこの人生相談に目を引かれたのは、最近のペチャパイをはじめとする、肉体上のコンプレックスにこだわ る女性に、お目にかかることが多いからです。コンプレックスそのものは、否定するどころか、捨ててほしくないもののひとつです。コンプレックスは、大なり小なり、だれの心にもひ そんでいます。それは完全を求めるあまり、あるいは自分の夢や理想にてらした結果から感じられたり、社会生活の中で他人と比較して感じられたりしますが、この存在が自尊心や、向 上心の活力源であることはたしかです。いいかえれば青年期にコンプレックスにとりつかれないような人は、逆に欠陥人間だともいえます。劣等感が人を大成させたり、よりよい自分へ のジャンピングーボードになることをアドラー博士は「劣等感の補償行為」と呼びました。人間が、体のどこかの臓器に欠陥がおこると、他の臓器がこれを補うように働く。たとえば、 心臓の弁膜に障害がおこると、心筋が肥えふとって弁膜を補うように働くようにアドラー博士は、こうした補償現象が心理にもおこり得ることに着目したのです。自分の欠点や逆境を克 服してしまうばかりか、これをサカテにとって自己を優位にみちびいた例としては、ギリシヤの大雄弁家デモステネスが、幼時、どもりであったというのがあります。これは克服的補償 といいます。「私は美大じゃないから、せいぜい愛敬をよくして好かれるようにしよう」というのは、克服的補償に対して、代用的補償といわれるものですが、これも成功すれば、結果 としては、コンプレックスを克服したと同じことになります。誰も完全無欠な人はいないのですから、劣等感を自覚し、それにくよくよ悩むのではなく、早くそれを克服した人の方が、 恋愛においても、人生においても成功すると考えてよいでしょう。しかし、同じコンプレックスにしても、ペチャパイーコンプレックスや、大根足コンプレックスとなるとどうも低次元 すぎて、補償行為を働かせるまでもなく、そんなに悩むなら美容整形へどうぞといいたくなります。ゆたかなバストが女性らしさの象徴の一つであることは間違いないにしても、バスト にかぎらず、与えられた肉体条件、容姿や体格に起因したコンプレックスは、幼児の「ないものねだり」に近く、重視するにあたらないように思うのですが……。すべての男性が、ゆた かなバストを求めるものではないことは事実です。また、美しい顔や、すらりと長い足にしてもそのとおり、あるがままの自分を示し、それで満足してくれる男性をさがせばよいではあ りませんか。美人やグラマーだけが恋愛の有資格者ではありません。よしんば、町を歩けば男の人がみなふり返るような美人やグラマーだったとしても、数えきれないくらいの男の人に 好かれたとしても、一度に愛をささやいたり、結婚したりできるのはたったひとりの人なのですから。