あいちゃんずでいず

あいちゃんとゆかいな仲間たち(男子も既婚者もいます)婚活、お見合い、恋愛に役立つブログを更新していきますね。真面目なお話からくだらないお話まで付き合ってください。

第一印象は極めて大切


私たちは初めて出会った人に対して、「なかなか堅実そうな人だな」「かなりのプレイボーイだわ」「なんだか油断のならない人間みたい……」といった感じを持ちます。宝石店では、
「これは合成石だ。天然の石じゃない」「この照りの具合だと三年以上の養殖真珠だろうな」などと思います。骨董品屋では従業員を教育するさい、はじめに本物の一級品ばかりを見せ て目を養うといいます。そのうち三流品やまがい物をさりげなく混ぜて鑑定させると、一目見て真偽を当てることができるようになっているそうです。本物のみの持つ品格、名人の作な らではの重厚さ、洗練味など、口では説明できない雰囲気の有り無しで、それ以下の物の正体は、たち所に見破られてしまうようです。この第一印象は95%正確なものだと言われてい ます。私も今までの生涯、「ああ、やっぱり、初対面で感じたとおりだったわ」という体験をたくさん持っています。その中のちょっと面白い経験をお話してみましょうか。今から三十 年近く前に、初めてパリのルーブル美術館に行きました。かねてからあこがれのミロのヴィーナスの彫像を見たくて、その会場に案内してもらいました。一階のフロアの階段を少し降り ると、前方に、かの天下の美女の大理石像が立っています。瞬間私は「アラ、これは男じゃないかしら……」と、目をこらして見ました。全体の雰囲気と、特に背から脇へかけての強靭 で引きしまっている線に、女体ならざるものを感じたのです。しかし近寄って右から左から斜めから仔細に眺めても、部分的にはあくまで女なので私は狐につままれたような気分になり 、あれは目の迷いであり、錯覚だったのだなと思い、人にも話さずいつか忘れてしまいました。ところが、いつか新聞を読んでいると、ギリシャ彫刻についての記事が出ており、ミロの ヴィーナスは男性のモデルを使ったらしいということが研究の結果わかった、と書かれてあるではありませんか。少年が青年になり男らしく変貌していく直前の時期が最も美しいので、 当時ギリシャの彫刻家たちは、たとえ女人像を制作する時でも、しばしばごく若い青年をモデルに使ったのだというのです。やはり私の第一印象は間違っていなかったのだ、と非常にう れしく思ったことでした。私たちは、人や物や事柄に対して、最初に受けた印象を大切にし、信じて大丈夫なのではないでしょうか。何かひっかかるものや異和感を感じても、あくまで 先入観や固定観念に捉われてそれを否定してしまったり、あれこれ迷ったり考え直したりすると、かえって誤った判断をしてしまうものです。結局、だまされたとか、こんなはずじゃな かったと後悔するのは、第一印象を支配する動物的直感が鈍ったり曇ったりしたことが原因であることが多いのではないだろうか、と思われます。だから、初めての出会いでは全神経を 相手に集中し、しかも虚心であることです。目が合って、ちょっと言葉を交わすうちに、「いい感じだな、好きなタイプだ」または、「なんだかイヤだな。ボク(私)の趣味じゃない」 と必ず感じます。この感じを大切にし、頼って下さい。特に異性に対して抱く″動物的嗅覚″というものは実に的確であって、マトをはずれることはまずないと思っていいでしあなたが 「ああ、いいな」と思った相手は、あなたと波長の合う人です。それは必ずしも美男美女とか、秀才とか、大金持ちとか、高貴な地位の人とは限りません。ごく平凡で「どこがいいんだ か自分でもよくわからないな」ということだってあるのです。波長の合う人なら、恋人や引いては配偶者にしても大丈夫な人、といえます。逆にピンとこなかった相手なら、要するにあ なたと無縁の人、いくらルックス(容貌)がよくて、よさそうな条件をたくさん備えているからといって、しょせん愛情を分かち合える相手にはなれないでしょう。人間は万物の霊長な どと威張って勿体ぶったところで動物は動物。いっさいの理屈や先入観を棄て、心を虚しくし、「オス」または「メス」の感覚だけをとぎすまして、ぱっと相手を見て好きか嫌いかだけ に頼ることです。恋というものは、徐々にいつとはなしに育っていったり、相手に対する同情や反発が愛に移行するということもありますが、ある瞬間に突然始まるのが普通です。一目 愡れこそ恋愛の中の恋愛ともいうべきもので、その運命的なチャンスが訪れたとき、つまらないことにこだわってモタモタ、グズグズし、千載一遇の好機をムザムザ取り逃がしたりして は、ほんとうに惜しいことだと思います。ただし、直感を育てるためには、日頃の人間研究がものを言うことになるのも事実です。つまり、見せかけに惑わされない用心と、確かな目の 持ち主になることが先決ということになるのです。