あいちゃんずでいず

あいちゃんとゆかいな仲間たち(男子も既婚者もいます)婚活、お見合い、恋愛に役立つブログを更新していきますね。真面目なお話からくだらないお話まで付き合ってください。

出会いが多い人、出会いが少ない人の分岐点

 

「出会いがない」「いい男がいない」と嘆いている人はたくさんいますよね。私の周りにも少なからずいます。でも、あえて厳しく言わせてもらえば、その中でどれだけの人が「出会う」ための努力をしているでしょうか。私の知る限り、そういう人に限って、出会いをただ待っているだけで、なかなか自分から動くことができないようです。しかし、出会いなんてものは、努力次第で何とかなるものだし、むしろ努力しないと何ともならないことが多い。確かに、それほど努力をしなくても、周りに一定数の男がいる環境もあります。たとえば共学の高校や大学なら、毎日数十人の男たちとすれ違い、十数人と言葉を交わせるでしょう。そういう流れに乗っていれば、自然といろんな出会いを経験できる時期はあります。入社して一年目、なんていうのも出会いの時期です。新しい環境に入ったばかりのときは、人間関係も新しくなり、合コンのお誘いを受けるといった間接的な出会いも少なくないでしょう。ところが、その流れは、ある時期から少しずつ勢いをなくし始めます。それまでは回転寿司のように次から次へと出会いが巡ってきたのに、ある程度の年齢になると、回るスピードが落ちてくる。そのうち、新しいネタには滅多にお目にかかれなくなり、いつしかパッタリと供給が止まって、気づけば周りにいるのは長年つき合ってきた職場の同僚や学生時代の知り合いなど、代わり映えしない。いつものメンツ″になっていく。つまりこれが、「出会いのない状況」なわけです。この状況を打破したいなら、ネタが供給されるのを待っていても仕方ありません。自分で「出会う努力」をしなければいけないのです。具体的に、出会うための努力とは、何をすることなのでしょう?それはとても単純なこと。たとえば「合コン」も立派な努力のひとつです。二十五歳の女性が一年間、一度も合コンをしなかったとしたら、その間にどんどん合コンをした人に比べて、出会いの数に大きく差がつきます。その遅れを、二十六歳になってから取り戻そうとしても、それは難しい。失われた一年間は、絶対に戻ってこないのです。出会うための努力をサボっているうちに、私たちはさまざまな場面で、無数のチャンスを棒に振っています。 今、「出会いがない」と嘆いている人にも、過去には出会えたかもしれない男というのが、実はたくさんいました。その中には素敵な人だっていたかもしれません。け
れど現実には出会っていないから、その真偽を知ることはできません。つまり、「出会う努力」とは、出会いのチャンスを逃さないように行動すること。気づかずにフイにしている出会いを、ひとつずつ拾い上げていきましょう。誰とも出会わなかった一日”。ある男と出会った一日に変えるのです。その方法は、本当にたくさんあります。とても簡単なことなのに、「出会いがない」と嘆く人は、出会う方法そのものが難しいと感じています。実際はそんなことないのに、最初の一歩を踏み出すことができません。なぜ、積極的に「出会う努力」ができないのでしょうか?「出会う努力」に踏み切れない人の多くは、偶然その人に出会って、偶然その人と恋をして、そのまま結婚するといった自然な結婚に憧れているのです。確かに、結婚式のときに堂々と二人の馴れ初めを紹介できるような出会い方をしたいという気持ちはわかります。会社の同僚とか、学生時代からの友人といった”修飾語”がつくのが理想だと、ほとんどの女性は思っています。けれど、それはむしろ珍しい出会い方です。決してスタンダードではありません。待っているだけでは、現実は何も変わらないのです。出会いがないと感じているなら、それは男が流動しなくなってきた証拠。周りに好きな人が見つからないなら、新しい出会いを求めるための行動を起こしましょう。いつかいい男が支社から転属してきて恋が始まるかもとか、今度友人が連れてくる男が超エリートで気が合うかもとか、奇跡的な出会いが自分の身に起こるのを待っているだけでは、ダメ。「守株」-株を守る、という中国故事があります。切り株にぶつかって死んだウサギをたまたま獲った男が、それ以降、またウサギがぶつかるのを切り株の前でボーツと待っていたのですが、結局獲れなかったという話です。自分から動くことをせずに、出会いを待つのは、この男と同じこと。そのままでは、奇跡を夢見たまま、おばあちゃんになってしまいます。本当にウサギを獲りたいなら、弓と矢を持って、山に入っていかなければいけないのです。女は”釣り師”であり、”狩人”でもあります。海や山に出ていくことで初めて、結婚してもいいかも、と思えるような男と出会えるのです。