あいちゃんずでいず

あいちゃんとゆかいな仲間たち(男子も既婚者もいます)婚活、お見合い、恋愛に役立つブログを更新していきますね。真面目なお話からくだらないお話まで付き合ってください。

イメージとはかけ離れている浮気者のオシドリ

 

 


いつまでも仲良い夫婦の代名詞ともされるオシドリ。でも、実際のオシドリの夫婦は全くそんなことはありません。オスは子育てなんて全然しないし、そもそも夫婦といいながら毎年パートナーを変えています。なんでそんな勘違いをされたのでしょう。オシドリはカモの一種です。好物はドングリ。オスの羽色が華やかなのが有名。オシドリ夫婦の由来となったのは繁殖期である5~6月にとる、ある行動です。それは夫婦がいつも一緒にいること。繁殖期の前になると、1匹のメスの回りに数羽のオスがまとわりつき、鮮やかな羽を広げ見せびらかして選んでもらえるようにアピールします。その中からメスはオスを選びます。見た目だけで、決めるんですね。そして交尾するまで、せっかく手にいれたメスを他のオスに取られないように、がっちり見張っています。交尾した後にタマゴを9~12個位産むのですが、これを孵すのは大変。ずっと温めていなくてはいけないし、他の鳥や動物に食べられないように見張っていなければいけません。タマゴを温め続けること約一ヶ月。このタマゴを温める作業は大変なのですが、メスが全部行い、オスは近くで見守っています。メスにとっては自分の分身ですし、オスにとっては自分の遺伝子を残す大事な存在。ヒナが親離れするのは羽化後約45日ほどです。その間もヒナが危険や他動物から狙われないように、どうしてもオシドリの両親は近くにいなくてはいけません。しかし、親離れしたあとは夫婦は完全に解消です。オスによっては交尾した直後、タマゴを産んだら即、という感じでメスの側を離れて、次のメスオシドリを探しに行く者もいます。繁殖期は毎年訪れますが、毎年パートナーは変わります。つまりオスとしたら「交尾していいわよ」というメスを逃がさないために側にいて拘束。タマゴは、自分の遺伝子を残す大事な存在なので、他の動物の餌食にならないように見張っている。用がなくなったら、さっさと別のメスを探す。メスとしても、自分の子ども(遺伝子)を残すために、オスがいてくれた方が便利。そもそも自分一人では繁殖出来ないし、子離れしたらオスは用なしなので、離れていって結構。こんな感じでしょうか。繁殖期のオスとメスの求愛行動。そして交尾、タマゴ温め、子離れ、の計数ヶ月はいつも一緒にいるので、その姿を人間が見て勘違いして「オシドリの夫婦に愛がある」「いつも一緒にいる」→「添い遂げる」「オシドリ夫婦」なんて観念が生まれました。「子ども」という遺伝子を残し、財産を守るために、利益で結ばれた欲づくの2人という感じでしょうか。婚活がらみで言えば、メスは婚活をする必要はあまりありません。繁殖期になれば、たいていのメスの回りには「やりたい」オスが勝手に集まって「俺を選んでくれ~」と羽を広げて騒いでいますから。オスの立場からいうと、ずばり見た目です。求愛行動の時にいかに目立つか。選んでもらえるかで、かなり勝負はつきます。なんだか味気ないって気がしますね。鳥には長続きする夫婦の愛などはないのでしょうか。でもそうでもありません。たとえば「鶴」。「鶴は千年、亀は万年」はオーバーですが、実際に鶴は長生きで60年位寿命があったりします。一度夫婦になったら生涯仲良しで、どちらかが死ぬなどの事情がないかぎり、ずっと寄り添って生きています。死に別れはあるけれど、離婚はほぼゼロ。鶴は渡り鳥なので、日本とシベリアなどを季節によって行ったり来たりしますが、パートナーが怪我をして渡りが出来ない時などは、たとえ群れがみんな渡ってしまっても、パートナーが治るまで待ち、一緒に渡るそうです。鶴に単身赴任はないという感じでしょうか。餌や温度の関係で生存の危険もありますが、それよりもパートナーを大事にする気持ちの方が強いんですね。これはオシドリの打算と比べて、かぎりなく「愛」という感じがします。どうしてなんでしょうか。次のパートナーを探すのが大変とかなんでしょうか?オシドリと鶴、同じ鳥ですが、こんな風に全然異なります。どちらの方がよりよいというのはなくて、環境やそれぞれの生活パターンの中から生み出された知恵でしょう。鶴型でもオシドリ型でも、これは善悪ではなく、それぞれの生き方で、よく出来ていますよね。恋愛でも婚活においても戦いと同じく「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」といったところでしょうか。